愛しのジョングクへ。
ジョングクは、私にとっていつまでも思春期の男の子だ。
かわいくて、誰よりも愛情深くて、たまに理性よりも感情で動いて、今回のように間違いを犯す。
少年のような男の子だ。
たまに世間にあっかんべーして、悪びれず挑発するところも愛しくて仕方ない。
ひょんが大好きで、ひょんが悲しそうなときは自分が傷つけられるよりも傷つくような、温かくて泣き虫なジョングクが傷ついていると私たちが抱きしめたくなるんだよと教えてあげたい。
あとねたまに、すごく大人びた表情をしたり、考え方を聞かせてくれるね。
これまで経験してきた世の中の不条理や矛盾にいち早く気づいて、葛藤してきたのだと感じてしまう。そんなときはこの世界のやり方を憎く思うし、同時に不憫にも思う。
負けないで。ジョングク。
あまり知られたくない感情は目線や歌、態度で表現をするジョングク。
たまにわかりやすくてわからない。
そんな不思議な存在の彼に毎日世界中の誰かが、恋に落ちるのだろう。
今回君が作詞した歌にはどんな意味があった?
偉そうにも、考察してみるよ。
「僕の名前をもう一度呼んでください」
誰よりも愛情深い君だから、ファンが自分から離れていくのではないかと怖くなったのかな。
照明1つもない暗い場所でひとりなにかあるたびに佇み、答えの無い問いに考えを巡らせているのかな。
そんな場所でひとり。
崩れそうになっているのかな。
それだったら。
もしそうであるのなら。
心配することなんて1つもないんだよ。
確かに7年間誰かに愛と勇気を与え続けてきた君だから。
世間からは厳しい意見も、批判も矢のように飛んでくると思う。
でも、その身体能力で全て交わして。まともに打たれなくていいの。
そんな弱っちい、顔も見せてこないような人からの矢なんてくそくらえくらいに思ってほしい。
甘いのかもしれないけど、それでもいつも気持ちを包み隠さず教えてくれるから。
そんな君に私は、目を瞑っても良いと思うの。
誰だって間違いはある、って言いたいわけじゃない。
君の行動は笑って許されるようなものではないことも十分わかってる。
もし、万が一のことが起きていたら。と思うと怖くなるし、きっと恨む人もでてくる。
それを16歳で芸能界に入ってしまったから。なんて理由で流されることがないこともわかってる。
だけど。
一般人じゃないんだから、人気商売なんだから、批判を受けて当然だなんて冷酷な言葉は誰が浴びせられるのだろう。
批判は当然なのか。文化のせいにしてそれだけじゃない差別で人を傷つけるような言葉を浴びせてよいのだろうか。
全員が考えなければならないのではないだろうか。
言葉は時に想像以上に人を傷つける。剣にも拳にもなり得る。
自分が愛する人がこれから、容易に傷つくことがないように。
傷ついた分ちゃんと愛してもらえるように。
今度会えたら私も。
「会いたかったです、」と。
自分勝手な記念日
今日が記念日、といえばきっと彼は「性格診断通りドライだね」というだろう。
人は出会いと別れを繰り返す。
刹那のものもあればずっと続く地平線のような付き合いもある。
どっちがいいかと言われれば、きっとほとんどの人が後者を選ぶ。
私だって後者でありたい。
だけど、出来なかった。
自分だってわからない。
なぜこんなにも一人の人間を愛し抜くことができないのか。
冷酷だからだ、飽き性だからだ、と言ってしまえばそれで終わることなのかもしれない。
だけど、認めたくない。誰かをできるだけ沢山に、無条件に、受け入れられるようなそんな器量を持ち合わせていたい。そんな器を持ち合わせられたら、と思う。
「言ってくれてありがとう。最初は気まずいかもだけどできるだけ普通に接してね。」
それに返事もろくにできない自分は優しくないのだろうか。スタンプ一つくらい返せばよかったのだろうか。
最もらしい理由をつけて、相手のせいにして終わりを告げた方が良かったのだろうか。
いつも終わり方はわからない。
たしか、最初は自分が「あ、この人いいな」と思っていた。顔なのか雰囲気なのか声なのかは覚えていない。だけど、素敵だと感じたのだ。それに間違いは一つもない。
友達に告げて、連絡を催促され、自分の気持ちを自分で高めていった。まともに喋ったことすらないくせに。ありもしない幻想を相手に勝手に抱き、勝手にレッテルを貼り、デートの度に次は告白なのだろうか。どうやってOKしよう。出来るだけ可愛い言い方で。と、可愛い反応の仕方を検索にかけたりもした。
だけど、いざ付き合ってみたら想像を裏切られたと自分を悲劇のヒロインにし、勝手に別れを告げた。
それも、「相手が自分勝手だったから」という理由で。
自分の夢のために就職先を蹴り、自分で決断したことに落ち込んで酔い潰れるまで飲んで、話を聞いてほしいと私に電話をし、私の時間なんて気にもせず彼は壮大な夢を語った。
違和感だった。
彼が落ち込んでいても可哀想だと少しも思わなかった。むしろ、雇ってくれた方のリスクを全く考えていない責任感のないやつだとも思った。私に対してもそう。用事があるから電話は最寄り駅から家に着くまでの時間でと伝えていたのにも関わらず家に着いたと言っても話し続ける。それも彼の気持ちが堂々巡りしているかのように同じ話をずっと。
「しんどい」と思った。
そして。
彼の将来に私がいた。それが1番の違和感だった。
違う。私はこの人と結婚したいわけじゃない。この人の夢を応援したいわけじゃない。私の描く将来に彼は、いない。
飛んだ自分勝手さだ。
思い返せば彼は承認欲求が強いだけで何一つ悪いことなんてしていない。私のことをちゃんと好きでいてくれていて、返信をまともに返さない私に文句一つも言わなかった。たとえ心の中で思っていたとしても。
ただ、話が長く自分語りが好きだっただけだ。
それに付き合いきれなかったのだ。
誰だ。本当に自分勝手なのは。
でも、後悔はない。
他人に戻るだけ。
きっと普通に接することもできない。
それが私なんだ。
それが、わかった日だった。
移り変わり
「紅葉の時期やし、見に行こう〜!」
そんな会話を耳にし、私もふと、地元で有名な街路樹の一本道を思い出す。
緑から少し黄がかって、橙になって紅になる。その色づき方、その変容を目にするだけで四季を感じ、朽ちていくその瞬間は儚い気持ちにさせてくれる。
その度に、年々自分の感性も磨かれているような気分になるのだ。
春は桜を見て、夏は海の潮を感じ、秋は紅に色づくのを見て、冬は雪を眺める。
そんな日本ならではの旬を感じ、浸るのが日本人と思われるだろう。
だけど、木々も色を移ろうように、時代も移り変わっている。
最近は写真を撮るために桜が満開の場所に出向き、SNSにアップするために海に行く。
さも日本人を謳歌しているようなそぶりを見せて。
そこには昔のようにその風景に気持ちを乗せて謳われることはきっとないし、季節の移ろいにもう決して会えない誰かを想うこともない。
少しさみしいけれど、それも枯れなのかもしれない。
枯れが終わったら、満開の桜が観れるのだろうか。
どうかみなさんの心も色づきますように。